【感想】単純に見えて深い「インサイド・ヘッド」

【感想】単純に見えて深い「インサイド・ヘッド」

2015年のPIXAR映画「インサイド・ヘッド」

ディズニー好きな人からすれば、今更かよと思われそうですが、今更ながら「インサイド・ヘッド」を見ました。

お盆休みに「Disney+」に入会しまして、まるで失った青春を取り戻すように、半ば(毎月1000円分の)使命感すら持ちながら、大量のディズニー映画を身漁ったのは記憶に新しいですが、その後しばらく「Disney+」に入会していることすら忘れて、毎日虚無のような目をしていたのでした。

で、土日が久々の二連休だったので、存在を思い出して、まだ見ていない映画を探しました。そこで見つかったのがこの「インサイド・ヘッド」。存在は前々から知っていたのですが、先立って見た「ソウルフル・ワールド」が良すぎて、なかなか見れずにいました。ハードルが上がってしまっていたんですね。

見た感想としては、すごく面白かったです。こうした映画の感想を書くのははじめてで、重大なネタバレをせずに、面白かったというところだけを伝えられる気がしません。ネタバレになってたらすみません、その場合は忘れてください。

感情たちが頭の中に住んでいる設定

この映画を単純にいうと、こうなります。頭の中に住んでいる感情たちが、反発したり、協力したりしながら人間の複雑な感情を作り出している。その場所を「司令部」と呼ぶのですが、人間はいわば巨大ロボットのようなもので、その感情たちがコンソールで操作しているという設定です。

ライリーという少女(11)は、親の仕事の都合で、ミネソタからサンフランシスコへと引っ越してきます。雪のよく降る、言ってしまえば田舎の街から、都会へと出てくることになるわけですが、(11)にはその環境の変化は重くのしかかることになります。

ふと思い出してみると、僕も小学校に3つ通った過去を持っています。今や千葉県民としてのプライドすら持っているくらいの僕は、日々空港もなければ海すらないくせに声だけでかい埼玉県民を焼き討ちにしたり、利根川を性懲りも無く何度も泳いで渡ってこようとする茨城県の原住民を弓で狙い撃ちにしたりしているわけですが、もともとは大阪の、それもエグめな地域に住んでいました。

僕が小学校時代の大部分を過ごした大阪狭山市は、大阪府の市の中でも下から3本の指に入るくらいの小さい市で、立地的には堺の右下くらいのどうしようもないところになります。

「狭山遊園」という名前の何一つ面白くなさそうな遊園地があるほかは、有名な暴走族の産地があるくらいで、この街の人は視界のはじに常に大平和祈念塔を捉えながら生活をするので、皆んなの目は濁っていましたし、街全体をどんよりとした空気が包み込んでいたと記憶しています。

▲大平和祈念塔。通称「PLの塔」。悪夢の中の東京タワー。

そんな大阪の片田舎から東京(千葉県でも、当時の大阪府民からすればほぼ東京でした)に出てきた僕は、まずは言葉の壁にぶつかります。ちょっと口を開くたびに、バグったイントネーションが飛び出してくるわけで、そんな気はなくても周囲に笑いが起きる。

その当時の小学生からすれば、関西弁はテレビの中の芸人が話すどこか面白い言葉という認識があったのだと思います。まるで動物園の檻の中のチンパンジーのような目で見られ、そして僕から関西弁が出るたびに、チンパンジーが滑稽な芸をしたかのようなささやかな笑いが起きたのでした。

別にいじめられたわけでもなければ、馬鹿にされたわけでもないのですが、そんなささやかな笑いですら多感な僕を傷つけるのには十分で、僕は死ぬ物狂いで標準語の習得に打ち込みます。

今になって思えば、関東でも関西弁を押し通す人は一定数いるので、別に関西弁のままでもよかったよなあとも思うのですが、いずれにせよ、そんなこんなで僕は大阪出身というと驚かれるくらいには流暢な標準語を話すことができるようになったのです。

(だからといってなんだというわけではないのですが)

幼い頃の引っ越しに伴う(11)の精神的不安定さみたいなものには、ある程度の同意をすることができました。

カナシミという存在

▲カナシミの感情を司る陰キャ

司令部にはヨロコビ・ムカムカ・イカリ・ビビリ・カナシミという5種類の感情がいます。その中でもカナシミはネガティブで、言われたことを守らない、話し方が気に食わない、すぐ怠けるとなかなか強烈な個性を持っている。

保管された楽しかった記憶などに勝手に触って、その記憶を悲しみに染めてしまうなど、見ている僕たちを挑発するかのような問題行動が多いのです。

▲こうやってみるとヨロコビがサイコパスにしか見えない

とにかく見ているとイライラします。カナシミ好きな人がいたらごめんなさい。でも僕の一個人の意見としては、見るのやめようかなと思うくらいにはイライラしました。

でも悲しみの感情こそが……

ヨロコビはとにかくカナシミを働かせないように、あれこれ工夫するのですが、当然引っ越したばかりの(11)、悲しみの感情が出てくるのは仕方ありません。ヨロコビたちはそれを無理矢理阻止しようとします。その結果、大変なことになってしまい、(11)の生活はめちゃくちゃに……。

人間の感情は、そのどれもが大事です。怒りたいときは怒らないといけないし、笑いたいときは笑わないといけない。そしてもちろん、悲しみたいときは悲しまないといけない。悲しみを取り除くということは、むしろ不自然なことなんですね。

なぜ人間は悲しみの感情を持っているのか、当たり前のことすぎて、僕は考えることがあまりありませんでした。たしかに泣きたい時に泣くとすっきりする。悲しいときに存分に悲しむことで、それを乗り越えることができる。

面白い設定とコミカルな演出

頭の中に人の姿をした(ものによっては人には見えない)感情たちが住んでいて、そのどれが人を操作するのかによって、人の行動(表に現れる感情)が変わる。人間の複雑な、いろいろな感情をこの設定で説明できるようになっているのがすごく面白かったです。たとえばビビリながらも怒っているときは、その二つの感情が一緒に人をコントロールしているみたいに、うまくできてるなあと思わされるところはたくさんありました。

この設定ならではのコミカルな演出も見逃せません。挙げろと言われると枚挙にいとまがないので、具体的にどれとは言いませんが(というより、細かな演出が多くてあまり覚えていない)、ひっきりなしに小笑いを誘いにくる演出がありました。

後でも述べますが、ストーリーの本質の部分は少し難しく、子供にはすべてを理解するのは難しいものとなっていますが、上部だけをなぞっても、見終わった後に十分満足感のあるものだと思いますので、どの年代の人も楽しめる映画だと思います。

原題「Inside Out」の意味

もうネタバレになりすぎている気もしますが、インサイド・ヘッドの原題「Inside Out」はなるほどと思いました。ちなみに拙い僕の英語力で恐縮ですが、「Inside Out」とは「裏返し」みたいな意味です。

邦題の「インサイド・ヘッド」はわかりやすいですが、やはり原題は考え抜かれていますね。でも、特に子供たちにはパッと見てよくわからないでしょうから、変更も已むなしかと思いました。

「裏返し」は言い得て妙です。こういう映画の設定だからこそ、それぞれの感情は独立しているようにも見えますが、本当の人間はひとりです。目の前に相対する出来事によって、喜怒哀楽が移り変わっていきます。常に喜んでばかりの人はいないし、悲しみを感じない人はいない。

つらいことがあったとしても、またそれが僕らにとっていい思い出になると、この映画は言ってくれているような気がします。

さいごに

PIXARは流石だなあと思いました。ソウルフルワールドの時にも感じましたが、やはり、芯の通ったテーマがそこにあります。表面的に見るとコミカルで笑いどころの多い子供向けの映画に見えるものでも、その裏側でこっそり、大人に語りかける部分がちゃんと用意されています。

映画中、(11)の心の中にある「島」が壊れていくシーンがあります。「おふざけの島」や「アイスホッケーの島」などです。イマジナリーフレンドであるリンボンについてもそうですが、子供のころ楽しかった、大切だったものが、大人になるとそうでもなくなることがあります。価値観はその時々によって変わっていきますし、楽しかった記憶もどんどんと忘れられていく、それが成長なのかも知れません。

いつものように書きたかったのですが、真面目になってしまいました。思ったことを書いただけなので、読みづらい、読み応えのないものになっていたらすみません。

映画のスタッフロールをぼんやりと見ていたら、ヨロコビの声の演出が「竹内結子」となっていて、最後に少し寂しい気持ちになりました。

噂によると、「インサイド・ヘッド2」が予定されているらしい。「2」はわりと失敗するイメージがあるから、どうかなあ……。